特別寄稿
美しいガラスあるいは美しくないガラス — 歴代の受賞作品を振り返る —(3/9)
今年で15回目を迎える「国際ガラス展・金沢 2022」における最終審査も無事終了した。応募作品の内容をあらためて振り返ってみると、幸いにもグラスアートの領域の内にあるか外にあるかを問われるような作品はほとんどなかったように思われる。もっともその状況を、“幸い”と受け取るか否かはまた別の問題である。ただし、私の印象で言えば、冒頭でも述べたように、美しいガラスとそうではないガラスに対する審査員の対応のし方、つまり評価選択のし方としては、私を含めてのことだが、美しいだけのように受け取られがちな作品に対する関心の薄さが目についたように思った。つまり、造形的な美感に対する興味よりもむしろ造形の意味や表現のコンセプトに関心が集まり、より複雑でユニークな着想によるものが評価され易い傾向にあった、ともいえる。別の言い方をすれば、同時代に息づく深めのメッセージ性に表現することの意味を見出そうとする姿勢が、見る側の我々にあったようにあらためて思われるのである。そうした思いの中で最終審査が順調に行われたのであるが、結果として選ばれたグランプリ受賞作品が、ある意味ではサプライズ的要素を有したものであったことに私は少なからず戸惑うような驚きを内心覚えたのである。何故なら、それがあまりにも伝統的な形状でいかにもガラス的でかつオーソドックスな作風のものであったからである。つまり、あたかもガラスの美感というものの原点を示すような作品だったからである。確かにその美しさは、繊細さと儚さと危うさとを兼ね備えた見事に清楚な魅力を放つものであった。優劣つけがたい複数のグランプリ候補作を対象にやや混沌とした様相の審査を繰り返す中で、最後にいきなりその作品が評価の頂点に躍り出てしまった、という印象を私は記憶している。ユニークで力強いオブジェが周囲にありながら、そうではないガラスが結果として大賞の座についたことに奇跡のような出来事を感じたこともまた確かであった。その結果を受けて、何故か私は胸をなで下ろしていたのである。