Jurors’ Comments
審査講評
久世 建二
- 陶造形家
金沢美術工芸大学前学長
今回初めて本展の一次審査委員を務めた。370余点の画像は概ね鮮明で、数点を除いて問題なく、作家から提出されたデータと、審査員相互の会話に、作者の表現の意図や技法に関する話題が加わり、作品の確認作業はスムースに進行した。長時間に渡る画像審査は、些か厳しい仕事ではあったが、疲れを感じる暇も無く、強力な訴求力を発する多くの作品に目を奪われ、時を忘れた。私は審査のポイントを、本展の趣旨「暮らしの中のガラスから新しい芸術表現のガラスまで・・・」に依り、幅広く自由な発想に基づく、創造力溢れる独創的な作品を選んだ。Artとは常に新しく、他に類を見ない「もの」や「こと」や「今」を表現し訴える仕事だと思っている。多くの経験を重ね、実験、冒険を重ねて成果を探る困難な作業のはずだ。作家が残した既成概念を打破する営みの痕跡を、出品作品の中から執拗に探し求めた。今まで見た事の無い「もの」探しであった。結果的に一次審査に残った作品は、圧倒的に日本の作家のものが質量とも群を抜いて多数を占めた。応募しやすい地の利から、出品点数が多くなるのは当然であるが、何よりも質的に高く、表現の多様性には目を見張るものがある。難関の一次通過作品の割合がそれを示している。近年日本国内各地にガラスの教室が出来、個人工房も増加している。作り手の絶対数の増加による表現の多様性や、技術の錬磨等に競争の原理が働き、切瑳琢磨する環境の影響も後押ししている。海外勢ではエストニアとデンマークの作品は実験精神旺盛で造形は多様。ドイツ、ハンガリーの場合強固な造形力と存在感が際立つ。中国、韓国、台湾の作品には実験が見られなかった。
かつて一世を風靡したガラス以外の工芸分野の一部が、爛熟期を過ぎたかのように停滞する今、ガラスはまだまだ面白い。生き残りは至難だがやりがいのある仕事だ。国際ガラス展・金沢が起爆剤で有り続けて欲しい。
西 悦子
- ガラス造形家
「国際ガラス展・金沢2016」の第一次審査の貴重な機会に感謝したい。この展覧会が1984年から現在迄継続されているのは世界的に見ても希少な事で、30数年間「世界の現代ガラス」の流れを見つめてきた主催者の努力は賞賛される。今回からネット応募が可能となりアラブや東欧の国等、より広い地域からの応募があったのは大変喜ばしい事である。応募作品を見渡した時、これまで其々の国の特徴が少なからず有ったが、ここ10年位はグローバル化が進んだせいか?国より個人の思いや表現の違いに変ってきたと思う。
そこには人としての「ある思い」は万国共通ではないかと思った。一次審査通過作品において、どれも表現の多様性、技術の向上がみられた。そこには作り手の思いである「美的目的」と素材研究、技術の完成度である「技術的目的」との調和が感じられた。特に日本人作家からは、工芸の長い歴史と共に欧米とは別の日本独自の進化を感じた。今年米国のGASは45周年を迎え、コーニングで開催されレクチャーの為に参加した。そこで科学とアートの共存、科学とアートのコラボレーションという見地からの作品を見せられた。ガラスはまだまだ進化していく素材だと改めて感じた。今後この展覧会の応募作品が、どのように変貌していくのか。又若い世代はガラスを素材としてどう扱っていくのか、とても楽しみに思う。それに伴い今後このガラス展があくまでガラスを素材とした作品に限定するのか。それとも科学や映像をも巻き込んだ作品も「良し」とするのかが問われるのではないかと感じた。未来を見据えてこの「国際ガラス展・金沢」が世界の中で先頭を担う展覧会で有って欲しいと願うと共に、今後も多くの作家がこの展覧会を目標とし、審査員を感動させる挑戦をして欲しいと願う。
佐久間 詔代
- 黄金崎クリスタルパーク
- ガラスミュージアム学芸員
まず、このような国際規模のガラス公募展を継続的に開催され、ガラス芸術の向上に多大な貢献をされている、本展の開催委員会の皆様に心より敬意を表します。
今回から、インターネット環境を利用しての応募も可能にしたところ、全体では約7割、海外に絞ると約8割が、この方法で応募してきたと聞きました。こうした状況は今後ますます加速していくのではないでしょうか。情報メディア等を活用して応募しやすい環境を整えることは、応募者と主催者の双方にとって有益であると思います。
これまで、国内ガラス公募展の事務方は経験してきましたが、このたび初めて審査する立場で臨みました。最初に応募作品全体を通しで見たときには、国際展ならではの、ガラスによる表現と着想の領域の広さを意識させられました。審査では、選ぶ責任をひしひしと感じながら、画像はもちろん、必要に応じて記述による情報も照らし合わせ、丁寧に作品と向き合うように努めたつもりです。正直なところ、私自身が本当に心を動かされるような作品はそれほど多くはなく、結果的に厳しい評価になってしまったように記憶しています。しかしながら、一次審査で最終的に選ばれた作品の多くには、造形的な斬新さや、訴えかける力強さ、魅力を伴った独特な佇まいなどが十分に備わっていました。
ガラスという素材の扱い方をめぐっては、ある応募作品をきっかけに、最初に少し議論がありました。「様々な観点からの取り組みを期待する」ということが趣旨に謳われている中で、対象とする作品の規定をどのように解釈していくかということです。これについては、今後も審査会での議題の一つになっていくことでしょう。
武田 厚
- 多摩美術大学客員教授
- 美術評論家
三年に一度のこの展覧会が今年もまた開催されることとなり、その審査に加わることが出来て幸いに思っている。こうした国際コンクールの企画が社会の動静に左右されることなく継続されてきた、という事実に先ずは心から敬意を表したい。
この度の審査の特徴は、投票による審査を最小限にとどめ、いつもよりなお意識して、審査のほとんどを審査員相互のディスカッションによって進めた、という点にある。それは、作品評価における相互の見解の違いを際立たせることにはなったが、同時に、ディスカスすべき課題と対象が明らかとなり、結果として納得のいくコミュニケーションがとれたように思う。その成果は、この度の受賞作品を見れば理解していただけると思っている。
賞の選考に当たっては、云うまでもなく表現の独創性、発想のユニークさが概ね審査員の評価の対象となった。その最たるものがグランプリ受賞作品と云っていいだろう。これまで見たことのない極めて不思議な物体に審査員全員が唖然としたのである。驚きという感動は芸術には欠かせない、という常識をあらためてつきつけられたような作品である。ガラスの未知な未来の魅力である。
ちなみに、今回の審査においても、受賞作17点の内の12点が日本の作家の作品となってしまった。この数字は前回(2013年展)とまったく同じで、日本の作家の力量が定着してきたことを示す数字かもしれない、と私は少し思っている。あわせて注視したいのは、そのほとんどが30代を中心とする若手作家であること、とりわけ女性の圧倒的な台頭振りである。心強い様相である。
ボーディル・ブスク・ラーセン
- ガラス評論家
- ヘンペルガラス美術館 館長
- 前デンマークデザインミュージアム 館長
国際ガラス展・金沢は、1984年に始まり、その後3年に一度開催されてきました。
2016年の今年は13回展ですね。このガラス展は世界のグラスアートの一大イベントとなっています。ガラス作家にとっては、自分の作品を、国際色豊かな審査員に評価してもらう機会であり、有名な国際ガラス展に参加するチャンスでもあります。
私は、ヨーロッパの小さなノルディック国、デンマークから金沢に参りました。
国際ガラス展・金沢開催委員会と石川県デザインセンター事務局のすばらしい活動に感銘を受けています。クラフトを支援し、発展させる使命を果たすべく、努力を惜しまない石川県および金沢市にとり、この国際ガラス展・金沢は世界への発信の大切な契機となっています。
今年は、一次審査において、21の国と地域から応募の77作品が選ばれました。
そのうち41作品が日本からの応募です。日本のガラス作家たちの、作品の質の高さが証明されました。主な賞6個のうち、5個の賞を日本のガラス作家が受賞したのは、当然で理にかなっています。作品の多様性は印象的です。表現主義風の作品や、ミニマルアート的で抽象的な作品や、概念的な作品がある一方で、有機的に影響された作品もあれば、より直線的な作品もあります。しかし、機能的作品はありませんでした。
すばらしい作品の数々を見て、強く感じたことがあります。それは国際ガラス展・金沢のすべてに当てはまるのですが、ガラス作家たちの実験的探究心です。テクノロジーと表現力の両方を駆使し、さらに高みの新しい芸術作品を創造しようと努力を続けています。
2016年の大賞を受賞した、広垣彩子さんの「Ambiguity」と題する作品は、この魅力的な探究心の証と言えるでしょう。
全体としては、物語性を構成要素とする作品が多く、見る人の心に訴えかけてきます。
国際ガラス展・金沢2016は、きっと大成功を納めることでしょう。
ヤン・ゾリチャック
- ガラス造形家
火と魂の星座
ガラス、5000年前に人類が創造し発展させてきた合成素材。このガラスは、作家たちに、感動を与え続けています。自分たちは、見えないものから何かを彫り出しているのだと。
見えないものとは、ガラスの、最も繊細で洗練された純粋な面、つまり光と色です。ガラスを初めて目の当りにすると、ガラスという素材が生み出す魔法のような効果に、うっとりします。
しかし実際には、多くの必要条件があります。特に技術的に必要なものがあるのです。
技術を修得し、未知の世界を切り開き、構成しなければなりません。そうして初めてガラスは完璧に仕上った作品となります。その特徴は実にさまざまです。複雑な作品、豊かな作品、世界共通の作品がある一方、不透明、半透明、透明、何かを映しこむ作品など多様です。表面処理のある作品、また非常に大きな作品もあります。今回の国際ガラス展・金沢2016に選ばれた国際色豊かな作品は、すばらしい彫刻性と芸術性を見せてくれます。かすかなニュアンスに駆り立てられ、哲学的な、あるいは感情的なコンテンツを内包しながらも、国際ガラス展・金沢2016は、全体として楽しげに調和しているようです。
芸術を通して、人類は、先史時代から、今自分たちが生きている、現在という時代を分析し、未来に向けて考察してきました。それが人類の初めの道のりであり、力でもあります。またそのことで、人類は表現力豊かになってきたのです。今回のガラス展に、このように多くの作品が世界中から寄せられたことを、本当にうれしく思います。金沢で出会う意義は、この国際ガラス展が唯一、世界規模で定期的に開催されているガラス展であるという事実です。心からお祝いを申し上げます。三年に一度というペースも、ガラス芸術愛好家たちにとっては、待ち遠しい気持の高ぶりへとつながります。世界では悲しい出来事が起きていますが、そんな中にも喜びを見出すことができます。必要とあれば、劇中劇をお見せしましょう。その中でなら現実を生きることも可能です。
まず、土と酸化金属と砂を上手く混ぜ合わせます。すると、ガラスは思い通りに表現できる空間へと変わります。ありがたいことに、すべてが可能へと変わります。幻想へと、また空想へと・・・。
ウィリアム・ダグラス・
カールソン
- ガラス造形家
- マイアミ大学芸術学名誉教授
国際ガラス展・金沢2016の最終審査は、今回もまた心躍るものでした。高い技術、芸術的な革新、力強いコンセプトに満ちあふれた作品が集まっていました。厳しい審査となり、さまざまな観点から意見が交わされ、大議論となる場面もありました。受賞作品の中から、注目すべき何点かについて述べたいと思います。
大賞受賞作、広垣彩子さんの「Ambiguity」は光を利用したイリュージョンの成果です。この彫刻的作品は重力から解き放たれ、浮遊しているように見えます。海中生物が海底深くを漂っているようなこの作品は、大成功を納めました。作者は背景として、このユニークなオブジェを創作するのに必要な、科学的技術とスタジオクラフト技術を、しっかりと持っていたのでしょう。
金賞は藤掛幸智さんが受賞しました。この不安定な作品はぎこちないポーズをとっています。半透明のガラスの表面には繊細なパターンが繰り返され、規則正しく振動しているように見えます。タイトル「Vestige」を決めたきっかけは何だったのでしょうか。作品をうまく表現しています。
銀賞受賞者イーダ・ヴィエトさんは、材料としてのガラスの「はざま」を見せてくれます。荒けずりのフォルムと同時に、ガラスの持つ視覚的な役割も持ち合わせています。この作品の、鋭いエッジとむき出しのフォルムが、人間の持つ知恵について語りかけてきます。
奨励賞は小坂未央さんが受賞しました。無数のシリンダーを組合せたこの作品から思いつくのは、連続性と計量法です。着想は医療の分野から得たものでしょうか。それとも潮の干満記録からでしょうか。楽譜からかもしれません。もう一点奨励賞を受賞した杜蒙さんの作品「Echo from the Highland」は、いくつもの小作品が集められて、ひとつの作品となっています。小さな物たちや想い出を収集し、大切にとっておいた、すてきなストーリーを語りかけてきます。私たちの誰もが経験する空想的な物語のプロットなのです。
ディーナプリエス・ドス・サントスさんの「Ghostly Memories from MyTime as an Air Hostess」はカールソン賞を受賞しました。この彫刻的作品は、作者のこれまでの人生を物語っています。シンプルなキャスティング技術を使い、作者の語る物語は、飛行機に乗ったことのある人なら誰でもが関わったものです。機内食、出発や到着の遅れ、使い捨ての食器たち・・・。この作品を成功させているのは、完璧ではないことと、究極の素直な美意識です。これこそ「わび さび」、つまり不完全のアートなのでしょう。
藤田 潤
- ガラス造形家
- 日本ガラス工芸協会理事
32年の歴史を経て、今回第13回展を迎える「国際ガラス展・金沢」を継続している主催者には、作家の一人としてこころより敬意と感謝の念を抱いております。ガラスアートを志す者、生業としている者にはこの展覧会に出品できることは大きな目標であり、励みになっています。初期に携わった審査員や関係者の中には既に鬼籍に入られた方も多く、その人達のガラスアート隆盛を願う情熱を忘れてはならないという緊張感を持って本審査の会場に臨みました。
時間をかけ全作品を見終わった後に全員で投票を行い、それからは各審査員が自らの意見を述べ、賞を決定しました。審査員達は出品者の国籍を意識して投票した訳ではないのですが、結果として日本人作家の作品が多く選ばれました。日本では他の素材に比べて現代ガラスアートの認識が未だ低いかも知れませんが、海外の審査員のグローバルな目からみても十分な評価を得たことは、自信を持って良いことだと実感しました。大賞の“ Ambiguity” は題名の通り、その不安定さに驚かされました。無数の細いガラス棒を化学繊維に埋め込んだ立体は胎児のようでもあり、心の動きのようでもあります。金賞の “Vestige” はドットをつけた板状ガラスを溶着させ、宙吹きで膨らませ凹凸をつけ、ガラスならではの形態を作っています。清潔感が漂い、息を吹き込み手で造るガラスの妙を感じます。
前回まで席を並べ、第一次審査を務めた水田順子氏が作年夏に急逝されました。これから未だたくさんの評論や企画に携わってくれると信じていたのに残念でなりませんが、遺稿となった前回の講評では、作家達の表現者としての内なる衝動の希薄さに危惧を示しておられました。未開の領域を開拓することは作家の独創であり、使命でもありますが、袋小路に入る危険も孕んでいます。経験や年齢に囚われず、自己の感動を作品に託したいと思います。