特別寄稿

美しいガラスあるいは美しくないガラス — 歴代の受賞作品を振り返る —(4/9)

「国際ガラス展・金沢」の開催は1984年(昭和59)に始まる。当初の展覧会名は「国際ガラス工芸展」。第2回展は1986年に開催。その後、88年、90年と続き、90年の第4回展で「国際ガラス展・金沢’90」と名称変更されている。そして92年の第5回展までは2年に一度のビエンナーレとしていたが、第6回展以降は3年に一度のトリエンナーレ方式をとり、今日に至っている。

この展覧会の企画主旨については、第1回展、2回展の資料で開催経緯の凡そを理解できると同時に、その後に本展が現代ガラス芸術の国際規模のコンクールという明確な主旨へと大きく舵を切ったことなども同展のカタログ等で把握することが出来る。

石川県が公益法人としてのデザインセンターを設立したのは1984年である。「国際ガラス工芸展」はその年に第1回展を開催している。当初は北欧デザインとの交流を目的で企画されたもので、北欧のガラス企業からのデザインガラスと日本国内企業の製品とを展示したものだった。例えば第2回展となった「国際ガラス工芸展’86」のカタログを見ると、暮らしの中におけるガラスのデザイン、というコンセプトで始められたこの企画は、結果としてレベルの高いテーブルウェアが主流となる内容の展覧会となっている。なお、興味深いのはそうした内容に国内作家による公募部門と北欧系の海外作家による招待部門が加えられていたことである。

この両部門の作品内容をあらためて概観すると、原型としての器を意識したものが大半であり、それらは、いわゆるデザインガラスではない自由創作ガラスと云えるものであった。さらに88年の第3回展ではその自由創作部門が一気に拡大され、公募による国際規模のガラス展となっている。つまり、現在の「国際ガラス展・金沢」の原形が出来ていたということである。会場には国内企業によるデザインガラスを展示するコーナーがまだ残されていたようだが、主流は完全にグラスアートの国際コンクールであった。別の言い方をすれば、デザインガラス展からグラスアート展へと大きく変身していた、ということになる。ちなみに、その時の応募作品の数は1200点を超えることになった、と記録されている。変身のきっかけについての詳細な記録はないが、専門家からの様々な助言に接しながら、ガラス造形の新時代への貢献に大きな意義を見出したことが舵を切った要因であったことは概ね推測できる。展覧会名が今日のものに変更されたのは第4回展の「国際ガラス展・金沢’90」の時である。主催は石川県及び金沢市による合同の委員会としていたが、実際には商工会議所が中核となって開催を進めていたが、間もなく石川県デザインセンター内に事務局が移され、開催の中軸となって今に至っている。そうした流れの本展の初期の様子を次に見てみよう。