Discussion
審査講評(2)

グランプリの講評

Ambiguity
Ambiguity
H49×W38×D38
2016

武田 ─────最初に各審査員の皆さんから、審査全体の感想とグランプリを受賞した広垣彩子さんの「Ambiguity」へのコメントを頂きたいと思います。このグランプリの作品だけが、審査員全員に5票満票で選出されたものなのです。まずはウィリアム・ダグラス・カールソンさん、全体の講評とグランプリ作品へのコメントをお願いします。カールソンさんは、1982年に北海道立近代美術館の主催で全国を回ったワールドグラスナウで第1回グランプリを受賞された方です。

 

カールソン ───── 大賞作品は審査員全員の意見が一致しました。
 普通は、審査員や評論家たちはなかなか意見が一致しないものなのです。今回、私たちが同意した点は、美的なすばらしさだけではありません。作品が生きているように見えたのです。活発に動くようにも見えます。まるで呼吸をしているようです。この生命感はなかなかのものです。ユニークです。本当にユニークだと思います。
 オブジェでは可能でも、ひとつの作品としてはめったにないことです。人の心を奪う作品です。審査員たちは、展示された作品全体を見て周り、これまで見慣れたガラスらしい作品を見て、再びこの作品に、戻ってきました。この作品は記憶に残っているのですね。制作過程の新しいボキャブラリーが備わり、視覚的インパクトが強いからでしょう。

 

武田 ───── ありがとうございます。次にラーセンさん、お願いします。

ラーセン ───── みなさまおはようございます。
 この機会に国際ガラス展全体に感じたことと、デンマークでのガラス芸術の動向をお話します。世界中から応募され送られてきた、すばらしいガラス作品が一つの部屋に展示されているのを目の当たりにするのは、感動的な体験でした。約40の国や地域の芸術作品が、世界のすみずみからここ金沢へやってきたのです。
 匠の技に挑戦する人々を一同に集め、感動する人々がガラスという媒体を使って何を表現するか見ることは、とても大切だと分かりました。武田先生が先程おっしゃったように、このすばらしい作品が大賞にふさわしいと、審査員全員の意見が一致しました。
 この作品の魅力は、これが作品でもなくオブジェでもないことです。ある種、新しい命の始まりのような印象を受けます。また畏敬の念を表わしているようにも思われます。
 審査員たちはすべての作品を見て、その中からこのすばらしい作品を見つけたことを、とてもうれしく思っています。

 

武田 ───── ありがとうございます。次に、今回初めて賞の審査に参加していただいた、ヤン・ゾリチャックさんにお願いします。ゾリチャックさんはワールドグラスナウの第2回グランプリ受賞者です。たまたま第1回グランプリのカールソンさんと第2回グランプリのゾリチャックさんがそろったということで非常に興味深いのですが、講評をお願いします。

ゾリチャック ───── 命、日々の暮らしというものは、考えるととてもシンプルです。しかし、私たち一人一人が生きていくということは障害物競走のようなものです。その生きていく一つひとつのプロセスに意義があり、時が流れていく、または積み重なっていくというのも大事なことなのでしょう。そして、その時々にふさわしい時間を過ごしていくということも、私たちが命、あるいは日々の暮らしと呼んでいるものの一つだと思います。同じことが創造においても起きます。我慢、忍耐、たくさんの時間などを使ってこそ、目的に到達することができると思います。今回、このガラス展の結果を皆さまと共有できて、とても大切な時間を過ごせていると感じます。また、この結果あるいは展覧会そのものは世界中の人とも共有できます。あなたに力や希望、夢といったものをもたらしてくれます。これが創造だと思います。良いアイデアが湧いたと思ったら、何かと共有して、ふさわしい時間、それからふさわしい照明があると、より素晴らしい調和(harmony)が生まれます。その調和というものを私はとても大事にしています。

武田 ───── ありがとうございます。次に藤田潤さん、お願いします。

藤田 ───── 私も今回、初めて本審査に参加させていただきました。これまで3回にわたり1次審査を担当させていただいたのですが、その経験から言って、実作とスライドではイメージが結構異なり、また、寸法も計り知れないところがあったので、実作の審査には非常に緊張感を持って臨みました。幸いにも、昨日、作品が一堂に並んだ会場に入った途端、これは随分レベルが高い作品がそろっているという印象をまず受けました。私が関わっている日本ガラス工芸協会という作家の団体があるのですが、40年前の日本のガラス展の初回の図録と比べると、今の展覧会に出品されている作品には、格段の表現方法の違いと技術の進歩が見受けられ、大変な時代の流れというか、ガラス芸術が日本で本当に発展していることを実感しました。
 審査に当たっては、皆さんタイトルと国籍に左右されることなく票を投じられたのだと思います。その中で、この広垣さんの作品が第一席に選ばれました。個人的な記憶では数年前に彼女の小さな作品を見たことがあるのですが、同じ方がこれだけ巨大でメッセージ性の強い作品をお作りになったことに、驚嘆というよりも感激をもって拝見しました。数年前の作品は手のひらに乗るくらいの非常にかわいらしいもので、魅力的な作品ではあったので何かの賞は受賞されたのですが、同じ作家が大きな飛躍を遂げられて、これだけの感動を与えられる作品を出品されたことを本当にうれしく思います。私も技術的にこれをどのように作ったのかはよく分かりませんが、ガラスの棒を中心にあるウレタンの色のついた部分に差し込んでいったということでした。非常に根気のある仕事で、かつ、造形的にも心に訴えるものが多彩だと思って、皆さんと同様にこれを大賞にすることに同意しました。

 

武田 ───── 最後に、私からコメントします。この作品には私も投票しています。審査では毎回、不思議な作品と出会い、表現的にも技術的にもパイオニアのような作家が出てきて充実した内容になっていると実感しています。今回のグランプリの作品ですが、私もこの作品に出会うのは2度目です。最初はやはり小さいものでした。宇宙人の子どものような感じで、何ともコメントできない不思議な存在だったのですが、今回、ふたを開けてみたら、こんなに大きな形で再び出会ったということで純粋に驚きました。しかも、これは技術的なことですが、よく見るとガラス棒を埋め込んでいるのです。埋め込んで表面がこのようなフォルムになっているというのは、何百本、何千本か分かりませんが、気の遠くなるような作業だったと思います。
 さらに、内側に見える、作者のコメントで言うところの「心と体の形」ですが、自分自身の内部にある何かを形にするとしたらこういうものではないかということで、探りながら作っていったようです。桃のお化けのようでもあり、宇宙人のお母さんのような感じもして、非常にエロティックであるけれども、かわいらしいという不思議なものです。これがもし生き物だとしたら、どのような存在になってくのかと感じるぐらい、本当に見たことがない、われわれにとってはミステリアスなものが出てきたという印象でした。ガラスによる表現には限界はないとよくいわれますが、この作品もまたその一つだと感じました。
 次に、金賞は藤掛幸智さんの作品で「Vestige」です。この頃はこうした意味の分からない作品がたくさんあるので、私も解説できないのですが、これは藤田潤さんにコメントをお願いしたいと思います。

審査員

トップへ戻る