Discussion
審査講評(7)

質疑応答

武田 ───── 以上で全ての受賞作品の解説が終わりました。ぜひ皆さまの率直なご質問をお願いしたいと思います。

質問者1 ───── 今のガラスの作品の傾向、それから日本と海外のそれぞれから見た日本のガラス作品と海外のガラス作品の共通点、もしくは違いをお伺いしたいと思います。

ラーセン ───── 大切な質問をしてくださって、ありがとうございます。その疑問こそ、私たち審査員全員が、常に自分自身に問いかけているものですから。しかし、みなさまお分かりのように、何か基本となるトレンドをとらえるのは、非常に難しいのです。そこで、私が簡単にみなさまにお伝えできることは、デンマークで見ているものです。新しいトレンドは、とても強い実験性です。ガラス作家たち全員が、素材と技術において、実験を試みています。その試みを経て、作家たちは興味深い新しいフォルムや、新しい作品に到達しているのです。デンマークがたどる、さまざまなステージにおいて、実験性は、現在進行中のプロセスなのです。もうひとつ別のトレンドとして、抽象的・概念的な作品や物語性のある作品が増えています。しかも時には、インスタレーション形式もあります。また物語性のあるフォルムが増えています。
 最後に指摘したいことがあります。それは学生たちの教育方法に変化があることです。
 教育は今や、手造りや匠の技にあまり重きを置かず、理論や、理論に基づく授業や、論文などが大切にされています。このようなコースによって、学生たちの作品が影響を受けています。非常に強い理論トレンドが、これから何年か後に、若者たちをどのような方向に導いていくのか、興味を持って見つめていきます。

 

カールソン ───── アメリカにおいても、日本の教育制度と同じ問題を模索しています。できれば例外があってほしいです。必ずしも、ある一定の芸術性に一致させる必要はありません。国際ガラス展・金沢2016を例に使わせてもらうと、注目された2作品は本当に型破りです。作品作りのプロセスは型にはまらないものですが、非常に創造的で発明的なもののために、芸術性を発揮しています。ガラスはオブジェとして長い伝統があり、美を表現する芸術性にも長く強い伝統があります。
 美の歴史性とは、発明家であること、また、新しい想像力を持ってガラス作品を生み出す者であることをあきらめずに、その歴史性から、発展していくことです。それは、すばらしくて、挑戦的で、貴重なチャンスでもあります。
 教育者として、またガラス作家として、同じガラス作家や若い世代に伝えたいことがあります。歴史を参照してください。アートの歴史と、ガラス芸術の歴史を参考にしてください。これから何をしようとしているのかを、自分でみつける機会を何度も持ってください。ガラス作家のやるべきことは、必ずしも作品を作ることとは限りません。ガラスという素材とのかかわりを深く探ってください。

 

武田 ───── ありがとうございます。ガラスアートを通して、国の違い、ナショナリティのようなものは感じるかというご質問ですが、それについてはどうですか。

ゾリチャック ───── 感じません。

カールソン ───── 無いといいなと思っています。
地域性は無いと思います。私たちはそれぞれの文化を持っています。と同時に体験を共有しています。ですから、国籍間で多くの共通点があると思いたいです。教育プログラムがトレンドに影響するかもしれませんが、何かがトレンドになると、そのトレンドは動き始め、次の予期せぬレベルへと受け継がれていきます。これは、世界共通に必要なことだと思うのです。

藤田 ───── 私は世界のガラスの状況をそれほどよく知らないので、あまり明快な返答をすることはできないのですが、この金沢で開催されている展覧会をずっと拝見している範囲では、やはり作り手の個性が全てです。今回、海外作家からの応募が日本のそれより多かった中で、多くの日本の作品が海外の審査員に選ばれたということは、それだけ共通項が多いのだと思います。世界的に同じレベルの仕事をしているから、海外の審査員にも日本の審査員にも同様に評価されて、このような結果になったのでしょう。何かこれこそが日本的だ、あるいはこれこそがアメリカ的だといったものは特にないと思います。ただ、目の前にある2点の作品を見て、私はやはり藤掛さんの作品には何か日本的なものを感じてしまうところはあります。それが何かということは、概念や言葉で表現することはできません。

武田 ───── 日本の場合は日本という国から海外を見てしまうので、日本と外国という比較になりますが、ヨーロッパでは境界線は陸続きですし、中国も陸続きです。従って、国境というものに対する意識が全く違います。また、昨年は同じ国だったけれども、今年は分かれているということもあります。現に、ゾリチャックさんはチェコスロバキア時代のスロバキアのお生まれですが、彼がフランスへ出た後、チェコとスロバキアは分かれてしまいました。それぞれの作家が背負っている文化や歴史、芸術性、感性は当然あるにしても、それが全てではありません。それを意識して仕事をするかどうかは、恐らく作家それぞれの持ち味というか、考え方だと思います。どちらが良くて、どちらが悪いということでもありません。たまたま日本は外国というものを非常に意識するような場所にあり、また、歴史的にもそうであるというだけの話です。今の皆さんのご意見を聞くと、ナショナリティがあることは否定できないけれども、そんなに意識しなくてもいいのではないかと言っているように聞こえました。どんなに小さな国もはっきりと違った文化や伝統を持っていますが、それを前提にした上での話だと思います。
 ちなみに今回は374点の応募があり、そのうち233点が海外から、141点が日本からの作品でした。国の大小を問わず、例えば中国からも以前よりずっと多くの応募がありましたが、国別の変化で言うと、常に数字は動いています。

質問者2 ───── 今日は本当に興味深いお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。今回はいろいろなタイプの作品があって、先ほど作家の皆さんもそれぞれの国で新しい表現を探していらっしゃるというお話もありましたが、特に先生方が個人的に作品を選ばれる中で、新しさと伝統を審査基準というか、対象とするときはすごく審査が難しいと思うのです。先生方が作品を選ぶ際、今までにないものに出会ったときはそれをどのように捉えているのでしょうか。特に今回はガラス作品というくくりではないような作品と言ったら変ですが、ガラスでなければいけないのかどうかということも含めて面白い作品が多くあったと思います。そのような新しい作品がどんどん出てくる中で、それに対しては一瞬で感覚的に判断されるのか、あるいは常に判断する基準やお考えをお持ちなのかということです。

武田 ───── 審査における心構えとして、自分の美的基準や選定基準をどのように持っているか、あるいは持っていないかというご質問ですね。

ラーセン ───── 私たちは、自分の美学または興味から、一瞬に反応するのだと思います。だから、まず最初に直感の印象で作品を見ます。その後に、技術や自分が求めているものについて見ます。私たち審査員は、並べられた作品を見て周っている間にも、一瞬のうちに、自分たちの興味を引く作品が分かります。その後、私たちはなぜだろうと考えます。ご指摘の点は、その通りです。
 作品の中には、ガラスには見えないものが多いですね。この素材の扱いや解釈が、今度どのように展開するのか、興味深いですね。

質問者2 ───── 最後に、これからの若手ガラス作家に期待していることがあれば、一言お聞かせください。

武田 ───── 教育者として、あるいは作家として、ガラス作家を目指す方に期待することですね。

カールソン ───── ガラス作家を目指すには、これまで話題に上がったことすべてが必要だと思います。どんな職業であれ、さまざまな異なる道のりがあります。ガラス作家にとっては、今回のガラス展や今日のような話し合いがひとつの可能性でしょう。
 しかし今回お見せしている作品にくらべて、より伝統的な芸術性に取組んでいる人たちも多いのです。ですから、伝統は尊重しなくてはなりません。しかし伝統に新しい情報を加えるという考えがあれば、物事は進化していきます。今でもアール・ヌーボーの美学を求めて仕事をしている人たちも多いのですが、進化していくにはちょっと時間がかかりすぎます。
 芸術上のモダニストだと言う人々は多いのですが、モダニズムは死んでいます。しかもそれぞれの流れには、それぞれの場所があります。
 見慣れた美学と、目の前に現われる驚きの美学との間で、バランスを取ることは、困難です。もしかして現実的ではないかもしれませんが、私たちが創り上げる最高に対してなら、限りないチャンスがあると思います。

 

武田 ───── 最後に、日本やヨーロッパ、アメリカに限らず、現代のスタジオグラス界に対して一言ずつ提言をお願いします。

カールソン ───── 「わび さび」に戻ります。本当に素直な芸術性を意味する表現だと思います。この文化的・歴史的な表現は、みなさんのキャリアでもうまく利用できるものです。これこそが、すべてです。少なくとも、私の解釈では。
 ハルツバさんから借りて使っている表現です。「わび さび」は耳慣れて聞こえるでしょう。しかし野心的でいるように、また歩み寄ろうと試みてください。
 しかし自分が何者なのか、どんな物を自分の中に招き入れたいのかを、ちゃんと理解しているべきです。そうすれば、あなたの才能は、花開くでしょう。

 

ラーセン ───── もう一度、この国際ガラス展・金沢の大切さを強調したいと思います。
 というのも、若いクラフト作家にとっては、なかなか大変な日々ですから。
 もっとも大切なのは、あなたたちの作品を見せる工夫です。できるだけチャンスを作って、多くの作品をいろんな人に見てもらい、意見を聞くのです。この小さなガラス芸術の世界の外にいる人々と、話すチャンスを持ってください。
 これが最も大切です。金沢は、日本の学生ばかりではなく、国際的な芸術家たちに、いろんなチャンスを提供しています。
 「国際ガラス展・金沢」の主催者、実行委員会、金沢市、石川県、参加して推進してくださっているみなさま、このすばらしいチャンスの提供に対し、心からお礼を申し上げます。このガラス展がずっと継続し、さらに多くの応募者がエントリーしてくださるように希望しています。みなさまの偉大なご努力に、敬意を表します。

 

武田 ───── ありがとうございます。ゾリチャックさんはよろしいですか。

ゾリチャック ───── 藤田さんにお任せします。多分、同じ考え方だと思います。

藤田 ───── 今、ラーセンさんがおっしゃったとおりです。私は作家の立場で参加していますから、作家を目指す方、あるいは作家の方々に申し上げたいことはただ一つです。やはり自分の内なる声というか、衝撃、感動があって初めて、それが作品に生まれ変わるのだと思います。それをどのようにして自分なりにつかんでいって表現するか、強い意志を持って自分の道を歩むということに尽きるのではないかと思います。

武田 ───── 最後に私も一言述べさせていただきます。この美術界というのは、無論、美術だけで動いているのではなく、政治や経済などのあらゆることと同時に、社会構造の中で動かざるを得ないものです。ですから、景気と一緒に考えられることもあれば、純粋に芸術としての動きだけで考えられることもあると思います。しかし、どんな場合でも、どんな時代でも、それに携わるのは人間です。今の時代の日本やアメリカ、ヨーロッパなどのアートフェアを見ると、ガラス芸術のさまざまな企画やイベントが展開されており、画廊での発表もずっとあるのですが、1980年代、あるいは1990年代前とはまた全然違った動きになっているようです。ガラスに限らず、絵画、彫刻、現代美術も全て含めて、時代は目には見えませんが、どんどん動いていっています。その時代の流れにあまり左右されずに、やはり芸術家の仕事は一心に前を向いていくしかないと強く感じています。そうすることで、最終的には数ではなくて質をもって、歴史に素晴らしい痕跡を残していくことができると思います。
 私もこの展覧会に長く関わっていますが、かつて数百点の応募があって、2日かけても審査できなかったような時代もあったのです。今、確かに応募数は少ないので多くなってほしいとは思うのですが、数ではなく質という点で言えば、確実にクオリティというか、芸術として人を感動させ、歴史に刻まれるような良い仕事は一歩一歩残ってきていると確信しています。ですから、暗い感じは持っていません。これからのガラス界は言うまでもなく、ただひたすら今の調子で永遠と続けていくことを一番願っています。
 これで講評会を終わります。ありがとうございました。

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