審査の感想と今後の期待
[カールソン]
応募された作品の中から審査員の先生方と受賞作品を選んでいくプロセスは、本当に特別なものだと感じました。一人ひとりがガラスの作品を見て、素晴らしい時間を共有したと思います。私は、ガラスの世界の未来に希望を持っています。新しい試みを探るものや、新しい発明のようなものもありました。また、ガラスの素材を十分理解した上で表現されたロマンスもありました。
再びガラスを言語に例えてみたいのですが、皆が同意するようなコンセンサスを持っている場合もあるけれど、コンセンサスには遠い、非常に個性的な解釈をすることもあります。そして、その個性的な解釈をしようと決定していく段階も大切だと思います。若いアーティストにとっても、ベテランのアーティストにとっても、毎回ガラスと向き合って何か仕事をしていくというのは、まるで探検の旅に出掛けているようなもので、その都度目を見張るようなめくるめく経験があなたを待っています。
この国際展を世間に知らしめて、もっと多くのガラスアーティストが参加してくれるといいなと思います。ガラスもアートも向き合っていくと、精神的に非常に豊かになっていきます。決して簡単ではありませんが、もともとクリエイティブなものを持っている人をさらにユニークにしてくれるものがガラスだと思います。
[ハルツバ] ガラスアートが日本で少しずつ発展しつつある。この国際展は、その発展に寄与した役割があったと思います。世界でたった一つの公募の「国際ガラス展」を通して、日本はガラスムーブメントのリーダーに少しずつなりつつあるのではないかと私は感じています。一方で、ガラスアートをどのように教えていくのかという教育の大切な役割も見えてきました。国際的な活動が、さまざまに行われています。ガラスという分野を持った学校も少しずつ増えています。そして、女性のガラス作家が増え、また、良い仕事をする女性のガラス作家が増えています。私たちがガラスを作っていく上での伝統と呼ぶものの境目を越えて、ガラスの作品は美術の世界にもはや入ってしまったようにも感じています。このガラスというミステリアスな素材を使って新しい表見方法を探り、見つけるのは多くの創造性、多くのエネルギー、わくわくすることを伴います。
[クリステンセン]
この「国際ガラス展・金沢」は、展覧会でありコンペティションであるという点で、とても大切な役割を果たしていると思います。それには二つの理由があります。一つ目は、このような展覧会が何年間も開催され続けてきて、毎回成長し、毎回いろいろな面、新しい面を見ることができます。質の向上も見ることができます。1970年代には、本当に限られた数の、教育を受け、国際的に非常に有名なガラス作家だけが注目され、世界的に知られていていました。それが今や、他の国々のアーティストは日本を「ガラスアートの国」として見ているのです。また、コンペであり展覧会であるこの国際展で、各国のガラスシーンを見ることができるというのも、非常に大切なことだと思います。
二つ目は先ほどカールソンさんがおっしゃったように、ガラスという共通の言語を使いながら、実際には国が違えば言語も違い、そのさまざまな国から応募があります。しかし、ガラスという共通の素材を使っているので、作品が集まったときに、この国ではどんなことが行われているのか、今この国ではこのような作品が作られているのかというガラスシーンを見ることができ、違いを比較することはとても興味深いことです。いろいろな考え、いろいろな情報が発信されていきます。石川デザインセンターの仕事としては、非常に難しいことがたくさんあると思いますが、この先ずっと続いていきますように、世界で唯一の公募を持つ「国際ガラス展」として発展していくようお祈りしています。
[横山]
今回の作品全体を見て、見応えのある力作が集まったというのが第一印象でした。しかし、僕の目から見ると、前に見た作品とほとんど同じに見えるものが出てきているのも事実です。こういうコンペにそういうものが出てくることは問題だと僕は思います。それはすなわち、その作者が創作において停滞してしまっているのではないか。それでは駄目で、もっと自己改革、自己開放をして作品を作ってもらいたいと思います。これは自分に言っていることでもあるのですが、特に工芸の分野、ガラスという素材は、他にない独特の魅力を持っています。それだけに、なおさら素材や技術に偏りすぎるのはいけないのではないか。そういうことを意識する必要があるのではないかと思いました。
そこで、考え方として、クラフトやアート、ファインアートなどいろいろありますが、私はガラスを「ファインアートです」などと言うことはないと思うのです。ガラスはガラスで、他にないのだから、ガラスというのは創作の中の一つなのです。僕は建築家の友達に、「あんたは大きな建築を創作する。僕は壊れるガラスだけれど、これだって創作なのだ。同じではないか」ということを言いたいのです。作り手がそういう認識を持って考え方の重点が移ってくると、違う作品も出てくるのではないかと思います。大切なのは、作者が自分の感性の表現、個性の表現にもう少し重点を置いて作品を作っていく、そういうものが今のガラスの流れに欲しいなと思っています。それが、現代ガラスの発展にもつながるのではないかという気持ちを持っています。
[武田]
ありがとうございます。最後になりましたが、私からも少し申し上げたいと思います。私も今度のガラスの審査に当たっては、全体としてクオリティの高いものが集まって、そこから非常に厳しい審査で選ばれた作品なのですが、受賞しなかった作品にも本当に質の高いものが多く、良い展覧会になると確信しています。そういうものを審査のときに初めて見るわけですから、非常にわくわくするのですが、その気持ちを少しずつ静めて、冷静に見ながら作品を選んでいくということになりました。
一つ、その受賞作品について申し上げれば、従来どおりの自分のスタイルをどう持続させていくか、あるいはどう変えていくかというのは、作家にとっては難しい問題だと思います。しかし、審査のときは、一歩でも半歩でも何か新しい世界を探ろうとする作品に、賞が行ったような気がしています。これは恐らく、ガラスという絵画や彫刻とは違う、非常に多面性を持った素晴らしいマテリアル(素材)をもって表現されるのがガラスの芸術なのですが、ガラスでなければ表現できない世界、しかもその世界で一歩何かを試みることが、一人ひとりがその表現の領域を広げていくことになるのです。それがさらにガラス芸術の発展というか、ガラスを楽しむ多くの人たちに貢献することにもなります。横山さんは停滞という厳しい言葉を作家の立場でおっしゃっていましたが、人間が何かを作っていくというのは、それぞれの人間の心の形を表すことだというのが僕の信念です。それがどんどん自由に進んでいくということを期待したいと思います。
もう一つ僕がわくわくするのは、こういった国際展というのは、お互いに知らない国の顔が見えることなのです。こういう芸術的な仕事には、人間がそのまま作品となって表れると思います。そうすると作品の中に、文化も違う、風土も違う、そして歴史も違う、そういった国の人々の顔が見えてくる。そういうものを一堂に会して見ることができるというのは、ワールドカップと同じで、ガラスという素材を通して世界の国が同じ舞台で手をつなぎ合うというか、楽しむことができる素晴らしさを持っていると思います。
最後に、私は多くのベテランのガラス作家の方々のお話を聞いたりしていたのですが、最終的には、やはりガラスを楽しみたいとおっしゃる方が非常に多いです。ですから、真剣に取り組むのはもちろんですが、さらに取り組むことを楽しむというか、仕事を楽しむ、ものを作ることを楽しむことが、それぞれの作家のイメージを膨らませ、創造力のチャンスを広げてくれるのだと思います。そして、リラックスして自然体になる状態が、恐らくは芸術というものを拡張していく良いきっかけになるのではないでしょうか。そのためには、見る側のわれわれは楽しんでいますが、ガラスを作られる側の皆さんもぜひそれを楽しんで、新しい世界にどんどん入っていっていただきたいというのが私の感想です。
国際ガラス展・金沢開催委員会事務局
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