Discussion
講評会

質疑応答

審査風景   

武田 ───── なお、時間がまだ少し取れますので、ぜひ皆さんから、どんなことでもいいので率直なご意見やご質問をお受けしたいと思います。

 

質問者1 ───── 私はほとんどガラスを扱うギャラリーを30年ぐらいやっていまして、先生方の作品を扱わせていただいたご縁もあるのですが、自分の仕事を通してみると、かつては海外の作家の方を日本に紹介して販売することがほとんどでしたが、今は逆の現象が起こっています。海外のお客さまから、日本人の作品をご覧になりたい、お求めになりたいということがよく起こるようになってきました。実際に、既に今ドイツの美術館と仕事をしているのですが、金沢の国際ガラス展のように大きな展覧会があるなら来てみたいという話もいただいていまして、本当に武田先生がおっしゃった教育機関の成果はすごいものだと感じているところです。

 一つ、ガラスの専門家の先生方や作家の皆様にお尋ねしたいことがあります。今回も美術館に収めることになった作品があり、集めた中の3割ほどにサインがないという現象が起こったのです。その原因について、なぜサインがないのですかと聞いたら、サインをする場所がない作品があったり、自分の作品はまねできないからサインは要らないとおっしゃった方がおられたのです。私は何しろ経済活動に関わっているものですから、お客さまのお気持ちやいろいろなことを想像して考えれば、いずれその作品と似たものが出るかもしれませんし、価値や証明などということになったらぜひともサインはあってほしいのです。その点について専門家の方たちはどうお考えになるか教えていただけたらと思います。

 もう一つ、選ばれた作品は主に抽象形態が多かったように思いました。他に出された作品の中にも、具象の作品はあまり応募がなかったのか、それとも先生方がそれについてはあまり好ましくないと思われたのか、教えていただけたらと思います。よろしくお願いします。

 

武田 ───── では、先に、後の具象か抽象かという質問にお答えします。絵画や彫刻と違って、ガラスによる具象作品というのはどういうものを概念として捉えているか、すぐに判断できないのですが、具体的な物の形を再現芸術的に作り上げたものという意味で解釈すれば、非常にやはり少ないです。応募されている作品自体の中に、そういうものはあまりないですね。わずかにもちろんありました。人体などを中心に少しありますが、大概のものは非具象的な形態が基本になった作品が非常に多いです。

 サインについては、短く3名に回答していただきます。サインを付ける必要があるかないか、どう思われますか。ラーセンさんは作家ではありませんが、どうでしょう。

 

ラーセン ───── これはもちろん大切な点だと思います。自分の作品には自分が作ったのだと明確に知らせる必要があります。さもないと、例えば美術館に作品を展示することも難しくなるでしょう。作品を作った人とその考え方を知ることはとても大切です。そのようにしてさまざまな機関は成長し、そのようにして私たちは少しずつ賢くなっていきます。ですから、どうぞサインは必ず作品につけてください。また、その作品のどこを誇りに思っているかの説明を付けてください。

 

武田 ───── ありがとうございます。カールソンさん、コメントはありませんか。

 

カールソン ───── ラーセンさんに賛成です。

 

武田 ───── 一緒ですね。では、横山さん、お願いします。

 

横山 ───── サインは絶対に必要です。私も若いころは作品の後ろや裏に小さく書いたりしていましたが、今はピカソのように正面にばっと書くようにしています。

 

武田 ───── 私は作家ではないのですが、特に日本の作家の場合、工芸の世界には箱書きというのがありますので、この箱書きがサインを代行しているような部分があり、作品そのものにサインを入れるというのはない場合が今ももちろんあります。それが良いかどうかは私自身も判断できませんが、私も美術館が長いので、できれば作品本体のどこかにサインがあった方が、サインですから名前でなくてもいいわけで、美術館としても将来的に作品の保存・管理の上では絶対にいいことだと思います。

 しかし、それは最終的には作家の考え方によるのでしょうから、強制するものでも何ものでもないのですが、若い人たちがどう考えているかというのは、きっといろいろな意味で結論を出しておかなくてはならない、なければ様々な問題が起こることはあると思います。ただ、作家の皆さんはぜひ付けるべき、記すべきだと言っています。

 他にございますか。どんなことでも結構です。受賞作品にふさわしくないのがあったとか、そういうことでも構いません。

 では、せっかくアメリカとデンマークからお二人がみえているので、彼らの国のスタジオグラスの今の状況を簡単に知らせていただきたいと思います。カールソンさんから、今のアメリカの若い作家はどうだとか、教育者としてどうだとか、何か見解をお聞かせください。

 

カールソン ───── アメリカのスタジオガラスについてお話します。しかし、アメリカ以外の出来事もお話します。ガラスの教育システムは成熟して、これまでより多くのプロセスがあり、コンセプトがあり、ガラスがいかに作品にふさわしい素材であるかについての哲学もこれまで以上にあります。

 大学も美術学校も独自のプログラムを持ち、これまでより多くの教授陣を抱えたすばらしいスタジオを作っているように思われます。これはとても良いニュースです。

 オーストラリア、ヨーロッパの国々、またたぶん英国も、博士課程を共有しています。そのため、学士、バカロレア、修士、博士課程に在籍している学生たちを受け入れることができます。こういったシステムが必要かどうかはわかりませんが、研究機関にとっての利益にはなっています。

 このことは、研究にとって更なる可能性があるという意味です。上級学位を持つ人々にとって、研究はアカデミックなものかもしれません。スタジオを仕事場としている私たちにとって研究とは、次のすばらしい作品をつくり上げることです。また、ユニークな考え方に刺激されて、さらに意欲的に活動を続けることです。私は、アートの状態は私たちガラス作家にとっては健康的だと思います。

 ですから、芸術家として、私たちは自分たちがやっていることがとても気に

入っています。私たちはまた、芸術家として、市場が可能性を決めていることを知っています。最近市場はあまり親切ではありません。つまり、コレクターたちはかつてのようにガラスの作品を集めなくなっています。そこで私たちは微調整しています。以前よりやりくり上手でなくてはいけないし、身近にある市場に合わせて仕事をしなければなりません。それでも私たちは、意欲的に努力を惜しまず、創造性を求めています。

 

 

トップへ戻る